<哲学の誕生>
理性偏重・物質蔑視の哲学の始まり
多くのポリス(都市国家)が繁栄していた紀元前8世紀以降のギリシアでは、自然現象も、歴史も、人間の感情や欲望でさえも、すべては神々のはたらきによって起きると理解されていました。
けれども紀元前6世紀には、こうした神話的な理解を否定し、万物の根源や、ものごとが起きる原因と仕組みを人間の理性によって理解しようとする人々(哲学者)が出てきます。彼らは人の形をした神ではなく、宇宙に満ちている普遍的な法則が自然も人間社会も動かしていると考えたのです。
この哲学では普遍的な法則(「真理」や「神」とも呼ばれます)は現実世界を超越した目に見えない根源にあるもので、その結果に過ぎない現実界はレベルの低いもの、と考えました。
土
水
原子
火
数
空気
万物の根源(アルケー)は何だろう?
また人間が知の探究(哲学)ができるのは理性のおかげだとして理性を重視する一方で、肉体や肉体的欲求を蔑視します。
そして「理性をもつのは人間だけ。だから理性をもたない他の生物よりも高等」として、自然は人間の理性的判断によっていかようにも利用できるという人間中心主義も生み出します。
さらに、家父長制社会の中で男性哲学者が構築した哲学は、自分たちが好ましいと思う特性を「男性性」に、そうでないものを「女性性」に分けて、以下のように定義しました。
高等な特質である「理性や道徳」は男性的なもの
下等な肉体に由来する「感情や欲求」は女性的なもの
哲学のように自分や世界を客観視する「知的」で「分析的」な態度は男性のもの
それではこのような男性優位で理性偏重の哲学が生み出される元になった「二元論」と、肉体の抑圧を進めた「禁欲主義」についてもう少し詳しく見てみましょう。またこの時期に生まれ、14世紀に復活して近代科学の基盤となった「原子論」、そして女性蔑視がどのように哲学に入り込んだのかについても見てみましょう。
「二元論」の祖 プラトン
プラトン(前427~前347)はこの世界のものごとの本体は現実界にはなく、知覚を越えた「イデア界」に存在すると考えました。
「イデア界」は完全で永遠に変わらない本質であり、この世の事物はその影にすぎない。イデア界の大元には「善のイデア」という最高位のイデアがあり、これがこの世の事物の究極の源である、としたのです。
世界を「イデア界」と「現実界」に分けたプラトンの「イデア論」は、後に以下のような二つの区分と関連付けられていきます。
自然・肉体・時間的存在・有限・感覚・感情・「地上の国」
魂・霊・永遠の存在・無限・理性・「神の国」
イデア(界)
現実(界)
さらにプラトンの弟子のアリストテレスは、自然界のすべての魂には階層があり、理性という最高の特質をもつ人間は理性をもたない動植物よりも上にあるとしました。
これらの哲学は3世紀にプロティノスが唱えた「新プラトン主義」の土台となり、さらにキリスト教神学に取り入れられて西洋思想の基本的枠組みとなります。(→ ヒエラルキー的二元論の形成)
* 神と自然の分離 *
神話の時代、人々は太陽や月、自然に神々を見ていました。けれどもプラトンの二元論は、この「自然は神そのもの」という神話時代の自然観を否定しました。自然は永遠不変の「イデア界」の影にすぎないのです。こうして二元論によって自然は永遠の神と切り離されました。
さらにアリストテレスによる魂の階層論は「自然あっての人間」というそれ以前の認識をひっくり返すものでした。人間を他の生き物より上に置くこの哲学がキリスト教を通して受け継がれ、近代以降「人間は自然を自分のために利用してよい」という人間中心の倫理になったと言われています。
禁欲主義 ー 情念や欲望の抑制
ポリスというローカルな共同体が崩壊したヘレニズム期、人々は拠り所を失い、個人としていかに生きることが幸福なのかという知恵を求めました。
哲学の学派であるストア派やエピキュロス派は、人間の幸福とは「心の平安」を得ることだと考えました。そのために心を乱す情念や欲情を抑えることを目指したのです。
ストア派は、自然はロゴスという理性的な法則に満ちており、同じようにロゴスをもつ人間は「自然に従う」ことで「不動心」を得、欲望を完全に抑えることができるとしました。そしてそのために厳しく身を律する禁欲主義をとったのです。「ストイック」という言葉はここから出た言葉です。
一方、大きな欲をもたず、最低限の欲で満足することで「肉体に苦痛がなく、心静かで満たされた状態」になることを目指したのがエピキュロス派です。そのため彼らは世俗から離れた場所で禁欲的で質素な生活を送りました。
エピキュロスについて、もうひとつ付け加えましょう。彼は神の存在を認めない徹底した物質主義者でした。そして心を乱す「死」という恐怖を克服するために、デモクリトスの原子論を用います。つまり「万物は無機的な原子でできているのだから、死は単なる肉体の分解過程にすぎない。死んでしまえば何もないのだから怖がる必要はない」という論法でした。
このエピキュロスの思想が重要なのは、それがルネサンス期に見直され、その原子論的な見方も復活して「機械論的自然観」につながったからです。(→ 科学革命 ー 機械になった自然)
「肉体は理性や精神のはたらきの邪魔をする」として肉体的欲求や情念・欲望を抑え、理性を重視したヘレニズム期の哲学。言い換えるなら、これは人間の理性・道徳性にだけ目を向け、感情・共感などの人間のもつもうひとつの特性を排除した哲学でした。けれどもこれが西洋哲学の源流となるのです。そして前者は男性に、後者は女性に振り分けられていたことを忘れてはなりません。
女性蔑視の哲学
古代ギリシアもヘレニズム期も、家父長制という男性優位の社会でした。女性を下に見る意識は哲学にも入り込みます。
たとえばプラトンやアリストテレスにとって「人間とは男性」であり、女性は何らかの形で男性より劣っている存在でした。特に女性は理性や知性という高い特質を伸ばす能力に欠けるとされました。
プラトンは「男女は魂としては同じだが、理性によって感情を支配することが不十分に終わった男性の魂が女性として生まれ変わる」と考えました。つまり魂の原型は男性で、女性は「落第した男性の魂」だったのです。
一方アリストテレスは、女性の肉体も知性も男性のそれより劣等で、それゆえ女性は「半人間」としました。彼の構築した生物学は女性の劣等性の「理論づけ」に満ちていますが、この誤った生物学はその後長い間、正当な生物学として受け継がれます。
このように哲学者が人間について語る時、それは「真の人間たる男性」を指しており、「真の人間ではない女性」は除外されているのです。「女性の不在」と「女性は男性より劣る」「男性は理性的、女性は欲望に弱く感情的」とする哲学は、ヘレニズム期はもちろん、キリスト教神学にも引き継がれ、ヨーロッパの意識の基層に組み込まれます。(→ キリスト教全盛期)