第2章)キリスト教全盛期
男性化するローマ教会
(4世紀頃~15世紀頃)
【ざっくり背景説明】
ヨーロッパの歴史と思想はキリスト教抜きに語ることはできません。ヨーロッパにおける意識の男性化の第二ステップは、このキリスト教の神学を通して行われました。
キリスト教の神学にはイエス誕生前のユダヤ教はもちろんのこと、ギリシアで発祥しローマ時代へと受け継がれたヘレニズム哲学も色濃く反映されています。この両者はともに男性優位で、超越的な「神」を頂点とし、自然と女性を下に見る思想をもっていました。
ローマ帝国支配下の紀元1世紀頃の地中海世界では、まだ地母神信仰の名残りの自然崇拝や密儀宗教、あるいはローマ神話のような多神教が根強く、一神教で自然崇拝を嫌悪するユダヤ教はマイノリティーでした。
けれども神の愛を説いたユダヤ人イエスの教え(後のキリスト教)は庶民の間で野火のように拡がっていき、数々の迫害にも負けず、4世紀にはついにローマ帝国の国教となります。けれどもそれはキリスト教以外の宗教の終わりを意味しました。
ローマ帝国の軍事的侵攻を支援する立場となったキリスト教は男性性を強めていきます。キリストは「王」のイメージに、十字架は「迫害のシンボル」から「軍事力と支配のシンボル」に、そして僧たちは「イエスとともに悪と戦う兵士」と位置づけられます。ヨーロッパ全土のキリスト教化はこうして帝国の軍事力とともに進められたのです。
またキリスト教の教義を体系化する中で、ヘレニズム哲学のアンチ物質(自然・肉体)が取り入れられ、「ヒエラルキー的二元論」「禁欲主義」「女性的神性の排除」という西方キリスト教(ローマ教会)の特徴が形づくられます。
このキリスト教神学は、自然と女性を物質あるいは物質的なものとして、父神と男性の下に位置づけるものでした。物質的な現実世界を「超越する」という男性的神性を強調する神学は、自然に「内在する」女性的神性を顧みなかったのです。そして神話時代に重視された「生命の再生産」も、物質的な再生を嫌う神学の中で忘れられていきます。
広大な領地を所有し独立国の様相を呈するほどになったローマ教会の修道院ネットワークは、10~12世紀には絶大な権力を持つ男性的で封建的な政治経済力を獲得します。聖職者たちは贅沢なライフスタイルを謳歌し、原始キリスト教の庶民性を忘れます。そして11世紀後半には、聖地エルサレムを奪還しようと十字軍を始めるのです。
それでは自然と女性の上に立った西方キリスト教会の男性性について、もっと詳しく見ていきましょう。
2-3)「肉体(生命)の再生産」の嫌悪
肉体の卑下と
セクシャリティーの否定
ヒエラルキー的二元論の神学では、朽ちる肉体、そして肉体を産み出す女体とセックスは蔑視の対象となりました。神に背いて「エデンの園」を追放されたという人類の「原罪」も、教義の中でセックスの問題に変えられ、さらには「女性は悪魔に魅入られやすい」といった言説を生み出します。
死や再生のない永遠の「神の世界」に入るためには性を超越した霊的な人間にならなければならない、と思うキリスト教徒の間に禁欲主義を志す者たちが出てもおかしくありません。中でも「神の国」に近い存在とされた聖職者にとって、禁欲は当然のこととなっていきます。そして男性聖職者の修行と禁欲の「敵」とされたのが女性であり、結婚でした。
2-4) 女性的神性の埋没と
マリア崇拝
「三位一体論」の男性化と
マリアという女性性の利用
キリスト教の最も重要な教義のひとつである「三位一体論」は、「父(神)・子(イエス)・精霊の三位は唯一神の三つの姿であり元来は一体」とする教義です。父・子は男性、そして精霊も男性か中性的イメージで語られてきました。そこに女性はいないのです。初期キリスト教では聖霊を母とする教派もあったといいますが、家父長制の強い「正統派」キリスト教はそれを認めず、「三位一体論」から母(女性的神性)を排除したのです。
神学上は女性的神性を排除する一方で、キリスト教はイエスの母マリアへの崇拝を戦略的に取り入れます。民衆は父神の厳しさだけでなく、慈愛や許しといった優しさを求めたからです。マリアは時代によって求められる役割を変えながらも、キリスト教における女性性の象徴として人々に愛され続けます。