<「肉体(生命)の再生産」を嫌う 禁欲主義と「原罪」>
肉体の卑下とセクシュアリティーの否定
性を超越した「神の国」に入るためには「性的な禁欲」をして霊的な人間になることが必要だと考える人たちがいても不思議ではありません。事実、1~2世紀の原始キリスト教の時代から、男女にかかわらず禁欲する人たちがいたといいます。
ただし結婚は神の恩寵を形に表す「サクラメント(秘跡)」のひとつとして、キリスト教発祥当時から神聖なものとされていました。ですから聖職者の中にも結婚する人はたくさんいたのです。
けれどもキリスト教の神学がヒエラルキー的二元論のもとに体系化されてくると、朽ちる肉体とその再生産、そしてそのシンボル的な女性は蔑まれるようになります。肉体の再生産とは生命の再生産であり、地母神時代には豊穣の源として尊ばれていたものでした。これがキリスト教の中では逆に蔑まれるべきものとなったのです。
このため少なくとも「神の国」に属する(あるいは属すべきもの)とする聖職者や修道院の僧たちにとって、性的な禁欲は当然のこととなっていきます。そして男性聖職者の禁欲の邪魔になるとされたのが女性でした。
こうして女性を排除したローマ教会や男性修道院はヘテロセクシュアルを拒否する一方、ホモセクシュアルには寛大でした。11~12世紀のローマ教会では教皇や大司教などの多くがホモセクシュアルであり、ホモ聖職者の時代と言ってよいほどだったといいます。そしてローマ教会の上層部からは、女性と女体を嫌悪する激しい非難文も出されました。(→ 中世キリスト教の女嫌い)
「肉体の再生産」につながる結婚は聖職者の信仰生活の乱れととらえられ、11世紀に行われたグレゴリウス改革における弾圧の対象となります。この改革は堕落した修道院の改革運動とされ、聖職の売買と聖職者の妻帯を禁止するものでした。結婚していた聖職者の妻や子供たちは何の保証もないまま放り出され、悲惨な運命をたどったといいます。以来ローマ(カトリック)教会では、聖職者の結婚は事実上不可能になり、今日に続いています。
原 罪
『旧約聖書』の「創世記」に記されたアダムとイブが犯した罪は、蛇にそそのかされ「禁断の木の実を食べてはいけない」という神のいいつけに背いた罪でした(→ 父権的ユダヤの一神教)。ユダヤ・キリスト教ではこれを人類の「原罪」としていました。
けれども5世紀以降のキリスト教では、この「原罪」はセックスの問題に変えられてしまいます。つまり二人は神にかくれてセックスをしたとされ、それが「原罪」となりました。そしてこの「原罪」はセックスによって次の世代へと受け継がれるとされたのです。
また蛇にそそのかされたのがイブであったことから、女性は「罪深い者」「悪魔に魅入られやすい者」という言説も生み出されます。これが後年、魔女狩りのような狂気的な女性弾圧の遠因となるのです。(→ 魔女狩り)
この女性に対する間違った意識は、アダムとイブを罪に誘った蛇が多くの宗教画で女性として描かれていることからも知ることができます。