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<バランスを失った世界>

私たちは今、国や企業が世界での覇権をめぐって激しく競い合う世界に生きています。政治は「パワーゲーム」であり、平和とはパワーの均衡の中に生まれるものだと考えられています。

 

核兵器がなくならないのも、自国を他国からの攻撃に対して無防備にすることを恐れるからであり、また核をもつことが自らのパワーを強くすると考えているからです。

 

その思考の根底には、自分を他者から分ける意識、できれば自分が一番強くなって思い通りに世界を動かしたいという意識が潜んでいます。その両者とも強い「男性性」の意識です。

兵士と戦車
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そして国際社会における各国の発言力は国の経済力、つまり通常GDPで表わされる経済の規模によって決まります。おカネとモノの量だけを評価する経済ですから、各国は自国の地位を高めるために人権や自然環境を後に回し、経済成長によってカネを稼ぐことを最優先するようになります。

当然ながら、経済でも世界市場を舞台にし烈な闘いが繰り広げられています。世界市場で覇権を握れば莫大な利益が上がり、世界のルールを自分に有利なように設定でき、政治でさえもおカネの力で自由にできるからです。一度覇権を握った企業が強大であり続け、富を集め続けるのはそのためです。そして企業のパフォーマンスは、コストを下げ、効率を上げて、いかに多くの利益を上げるかによって評価されます。

こうした経済の原動力となっているのが「拡大」「覇権」「競争」「効率」などの「男性性」と呼ばれる価値観です。この「男性性」の価値観は今や経済だけでなく社会制度にまで浸透し、いわば「弱肉強食」と「自己責任」の世界をつくり上げています。

 

経済のあり方が政治も社会も形づくっていると言っても過言ではありません。強くなければ生き残れないという価値観の中にあって、私たちはそれらを生きるために不可欠なものとして渋々、あるいは諦めて受け入れています。

 

一方このような経済では、「共感」「思いやり」「調和」「共栄」などの「女性性」と呼ばれる価値観は無益なもの、足を引っ張るものとして排除されてきました。

 

つまり現在の主流経済は極端に「男性性」に偏っているのです。

パワースクワットをやって強い男
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