< 啓蒙思想 >
自由・平等・個人の尊重
啓蒙思想とは
啓蒙運動は、封建社会の中で教会が教える世界観に閉じこめられていた人々に「人間」や「世界」や「自然」の真実を教え、無知から解放しようとする運動でした。哲学者のカントは啓蒙思想について「自分の理性を使う(ことによって自分で判断する)勇気をもつこと」と述べています。
「理性」を使った合理的世界観を希求することが男性性の意識であることは前項の「科学革命 - 機械になった自然」でも述べました。この「理性」による合理的理解を進め「個の自立(男性性)」を目指したのが啓蒙運動だったのです。
機械論から生まれた自由・平等
「機械論哲学」を生み出す元となったエピキュロスの原子論は、物質界(現実世界)はそれ以上分割できない等質な微粒子の集まりで、外からの力が加わらない限り自由に、しかし無秩序に動き回っていると想定します。この微粒子を人間に当てはめたのが民主主義の根幹である自由と平等です。
ローマ教会(カソリック)から離反したプロテスタントも、すべての人は神の前に平等であり自由であると主張しました。
市民革命
啓蒙思想によって自由、平等、個人の権利などに目覚めた人々は、政治的、経済的自由を求めて支配層である封建的絶対王政を打倒しようと蜂起します。「市民革命」あるいは「ブルジョワ革命」と呼ばれるものです。17世紀後半からはイギリスで1642年に清教徒革命、1689年に名誉革命、1789年にフランス革命などを引き起こし、共和制への流れが進んでいきます。
ただし「市民革命」の中心となったのは「自立した個人」、つまり一定以上の資産をもつ都市部の豊かな商工業者や資本家でした。彼らは自分たちが自由に資本主義的な経済活動を進めるために、それを妨げる支配体制を打倒する必要があったのです。ですから「啓蒙運動」は、後に資本主義社会と呼ばれるようになる体制を確立させるための運動だったとも言えるのです。(→ 近代の申し子 資本主義)
「自由で平等な個人」や「人権の尊重」という男性性による崇高な理念は、ロック、ホッブス、ルソーをはじめとする啓蒙思想家によって「市民が主役の新しい国家像」へと具体化されて行きます。ただしここでもまた、彼らの理念に女性は含まれていませんでした。「市民革命」はあくまで財産をもつ都市部の男性の自由と平等を求めるもので、「新しい国家像」も女性には何の発言権もない家父長制を当然視していました。