メデューサ
怪物メデューサ
うごめく蛇の髪をもち、その目を見た者を石に変えてしまう恐ろしいメデューサ。日本でもよく知られるギリシア神話に出てくる怪物です。メデューサに関する研究は少なく、なぜそのような怪物が生まれたのかは推測で補うしかありません。
ただメデューサが女性性から男性性へとヨーロッパ文明が転換したことを象徴する存在であることは確かなようです。
神話の中で語られるメデューサは美しい髪が自慢の美少女でした。けれども美しさ比べで女神アテネに勝ってしまったためにアテネに憎まれ、怪物に変えられてしまいます。そして最後には、アテネの助けを受けたゼウスの息子ペルセウスに首を切り落とされ絶命するのです。
美しかっただけでそこまでの仕打ちを受けるなんて、と思わずメデューサに同情したくなります。けれども中世や近代ヨーロッパの人々が描くメデューサは、それは恐ろしく、いかに忌み嫌われていたかがわかります。
ウフィツィ美術館 カラヴァッジョ
(1573-1610)のメデューサ
ルーベンス(1577-1640)のメデューサ
地母神/女神だったメデューサ
実はメデューサも、ギリシア神話に登場する他の女神たちと同じように地中海地域で先住民族が崇拝していた地母神/女神でした(→ギリシア神話と地母神たち)。メデューサは邪気を払い、病気を治す女神。また性的エネルギーや生命の再生、冥界の番人でもあったと考えられています。
メデューサ崇拝の中心地であった小アジア(今のトルコの地中海沿岸)の各地やリビアに残る神殿や遺跡にはたくさんのメデューサの姿が彫られています。それらの表情は豊かで、可愛らしいもの、美しいもの、しかめ面をしたものなど様々ですが、はっきりしているのは、その姿は怪物とは程遠いということです。
小アジア・リビアでのメデューサのレリーフ
アスクレピオスに奪われた「治療神」の地位
メデューサと蛇は切っても切り離せませんが、蛇は地中海地域で古くから大地のエネルギーと結びついた聖獣でした。クレタ島のクノッソス宮殿からは両手に蛇を握る地母神像が見つかっています。
またギリシア時代に入ると、医術や知恵を司る聖獣として崇拝されました。蛇は穴を通して地下の冥界と地上を行ったり来たりし、また脱皮を繰り返すために、蘇生の象徴ともされました。
この蛇の巻きついた杖を持つ姿で知られるのが、ギリシア神話に登場するアスクレピオスです。彼は死者をも蘇えらせる名医と言われ、死後ゼウスによって神に加えられました。彼を祀る神殿では蛇が飼われ、神のお告げによる治療が行われていました。
アスクレピオスが持っていた蛇の巻きついた杖は「アスクレピオスの杖」と呼ばれ、医学のシンボルとして現在でも世界中で使われています。
アスクレピオス神
WHO(世界保健機関)のシンボルマーク
キリスト教の台頭
このように蛇を聖獣とし、病を治すという点でメデューサとアスクレピオスが同じだったことが、メデューサを抹殺する理由となった可能性があります。アスクレピオスは女神アテネからメデューサの血をもらい、それによって死者を蘇らせたと伝えられていることから、(メデューサの右腕の血は人を死から蘇らせ、左腕の血は人を殺す力がありました)、アスクレピオスの方が新しい神であることがわかります。彼を医神として迎えるためにもメデューサを抹殺する必要があったとは言えないでしょうか。何よりメデューサは先住民の崇拝していた地母神/女神であり、アスクレピオスは支配者側である原ギリシア人の神アポロンの息子なのです。そしてメデューサを倒したのもゼウスの息子なのですから。
それにしてもなぜメデューサは怪物にされるほど憎まれたのでしょうか。それは支配者側の意図とはうらはらにメデューサ信仰が根強かったからだと思われます。事実、原ギリシア人たちに征服された後も、そしてローマ時代に入ってもメデューサ信仰は生き残り、先に紹介した様々な表情のレリーフが作られていたのです。面白いことに、神話では抹殺されたメデューサが、アスクレピオスの治療が行われた神殿に彫られていることもあるのです。
ただそこに割って入ったのがキリスト教でした。イエスは人々の病を癒す「治療神」でもあり、西暦1~3世紀頃の東部地中海世界ではキリスト教とアスクレピオス信仰の間に激しい勢力争いがあったといいます。けれども西暦313年にキリスト教がローマ帝国に公認されると形勢は決まります。メデューサ信仰もアスクレピオス信仰も激しい迫害を受け、6世紀にローマ皇帝ユスチヌアヌスが行った異教の徹底弾圧によって、ついに息の根を止められたのです。
メデューサの悲劇はそれだけではありませんでした。そのユスチヌアヌス帝が造ったイスタンブールの地下宮殿の貯水池の柱の土台にメデューサの首が使われているのです。水の中に横向きあるいは逆さまに沈められているメデューサの首。これが呪詛でなくて何でしょう。逆に言えば、数ある民衆信仰の中でもメデューサはそれほど根強く人々に崇拝されていたのでしょう。
イスタンブール 地下宮殿 貯水池の柱の礎石になったメデューサ
最後に付け加えると、キリスト教がローマ帝国の国教となって200年経った5世紀末には、イエスが異教の象徴であるライオンと蛇を踏みつけているモザイク画が作られています。ライオンは地中海世界やバビロニアで崇拝された地母神イナンナ(バビロニアではイシュタル)の聖獣です。蛇が象徴するメデューサも地母神的女神。キリスト教以外で特に根強かった地母神に由来する民衆信仰が、天の父神を奉じるキリスト教によって抹殺されたことを象徴的に表しています。
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女性性文明の女神メデューサは、まず男性性文明の神話の中で男神ペルセウスに殺され、その役割も男性神アスクレピオスに奪われます。そして最後は厳しい天の父神によって邪教とされ抹殺されたのです。こうして、後のキリスト教化したヨーロッパでは、メデューサはおぞましい邪教の象徴となったのです。
「勝利のキリスト」
ラヴェンナ 聖アンドレーア礼拝堂