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<生命を中心に置く経済

(生命の経済)>

自然が大気・水・土が育む多様な生命のネットワークであることを考えれば、自然と共生する経済は「生命」という価値を中心に置く経済だと言えるのではないでしょうか。現在のような「おカネ」という価値を増やすことが目的の経済ではなく、「生命の継続的な繁栄」を前提・目的とした経済です。

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生命を価値基準の中心に置くためには、人間もまた生きものであり、生態系という生命のネットワークに組み込まれた存在であるという意識が必要です。いわば、自分を生態系の内側に置く意識(女性性)です。

この当たり前の意識が生活の中から欠けているのは、現代社会の基礎にある近代科学と経済が「機械論的自然観」をとっているからです。これは「生命は物質のかたまりであり、それを動かすメカニズムさえわかれば生命も自然も自由に扱える」という意識です(→ 生命の視点の欠如)。人間の意識はいつの間にか自然から切り離され、自然の上に立っている(男性性)のです。

 

けれども生命という価値を中心に置いたとき、​人間活動のすべては周りの生態系との調和を前提にして行われることでしょう。また人間の生命を成り立たせている生態系を健全な形で未来へ引き継いでいくことも当然のことになります。生態系を壊してまで人間の「楽や便利」を進めるような科学技術の使われ方はしなくなり、かけがえのない自分のいのちを大切に生きることも重要なテーマとなるでしょう。そしてもちろん経済のあり方も変わるのです。

    経済を生命の営みの場に

 埋め戻す 

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経済は本来、生まれ、身体を維持し、次の生命を生み出し、死んでいく、という生命の営みをいかに「豊かに」全うするかに関わる行為です。

 

けれども今や、経済は生命からも自然からも離れた市場という実体のない世界で行われるものとなり、豊かさも自分の生命を削り、他の人々との戦いに勝利して得る「おカネ」や、「おカネ」を通して得る商品の量になってしまいました。そしてそこで働く人間にはまるで機械のように効率的でタフであることが求められています。(→ このサイトの考え方 ー バランスを失った世界)

経済を生命の世界に引き戻すことは、ひとり一人の生命の営みの場に経済を埋め戻すことです。つまり生命に力と生活の手段を与える周囲の自然と調和し、そこで共に生きる人たちと力を合わせ、自分の心をも豊かにする経済です。たとえば土の匂いや人の体温を感じながら働き、効率や利益に振り回されず、創造性とプライドをもって、人の役に立ち喜ばれるものを作る・・・そんな経済です。

もちろんそこでも効率性や競争などの男性性は必要でしょう。けれども「生命の経済」は、感謝の応酬や内面の充実、安らぎなどの女性性を伴なうのです。

畑仕事

本当に豊かな生命の営み、そして経済は、女性性と男性性を統合した生命の全体性を輝かせるものだと思われるのです。

それではそのような「生命の経済」はどのような形になるのでしょう。その具体的な条件を考えていくと、そこでも見事に女性性と男性性が統合した姿に行き着くのです。

「生命の経済」のかたち

地域への回帰

「自然との共生」という点から見ても、自然と共生する経済はやはり地域をベースにした経済に行き着きます。

自然には地域性があり、日本だけを見ても、北海道と沖縄の自然は全く違います。世界規模で見れば、実に多種多様な自然が存在します。自然との共生を考える時に漠然とした自然を考えていても答えは出ません。「自然と共生する」ということは、自分が、自分を取り巻く自然条件と調和して生きる(女性性)ことですから、やはり自分の住む「地域」がベースになるのです。

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(里山) 日本型 自然との共生社会

具体的には、まず地域の自然条件に最も適した形で衣・食・住とエネルギー源をデザインします。そして、近年のように自然を技術によって一方的に操作する(たとえば大規模灌漑や遺伝子組み換え)のではなく、自然と関わり合いながら農業生産のベストな量と形を求めるのです。地域で作ったものは基本的に地域内で回しますが、もし余剰があれば地域外に売ってもよいのです。加工品や工芸品、そして芸能も、地域の自然の中から生みだされます。

近代的な技術と経済が押し寄せるまで、文化や社会経済はそうして地域の自然を基盤に形づくられてきました。けれども「生命の経済」は、その時代に戻ろうというのではありません。自然との関わり合いは保ちながらも、新しい科学的知識と技術、そして他地域の経験を取り入れ、互いにつながり合いながら、よりダイナミックに進化するのです。

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各地で行われるマルシェや地域イベント

​男性性と女性性、

​そして多様性

同じ風土を共有する人たちがつくる経済圏は、その人たちが運営するのが一番です。その地域のことを一番知っているのは彼らだからです。そうであれば、「生命の経済」には地域住民の自治に基づく自立性や自主性(男性性)が必要になるはずです。中央政府の仕事は、地域住民が地域の実情に応じて設計した発展の形を支援するものになるでしょう。

 

地域経済がそれ自体で成り立つようにするには、必要なものをできるだけ地域内で自給することが必要です。けれどもそんなことができる幸せな地域は稀です。ですから他の地域との交易や協力(女性性)も必要です。そしてそれは、地域を昔のような「閉ざされた地域」にしないためにも重要なのです。現在のテクノロジーを考えれば、以前では考えられないような質と範囲で横のつながり(女性性)が展開すると思われます。

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地域通貨の勉強会に参加する地域の人々

また、地域内部からのイニシアチブを引き出し、多様な活動を展開するには、多くの住民の参画が必要です。その際、性別や年齢という垣根を取り除くことで、女性性と男性性はよりバランスのとれた形で地域づくりに反映されるようになります。女性の価値観や経験を排除して男性だけでつくった経済社会が男性性に偏ってしまった過去から学ばなくてはなりません。多様性こそが力です。

 

最後に、地域の自然を生かすために使われる技術は、極度に高度であったり大規模である必要はありません。かえって自分たちで管理運営ができるレベルの技術の方が必要とされる可能性があります。技術の小規模化やエネルギーの自給は、国や大資本(大企業)の意向から自由になり、地域の裁量を増やすことにもつながります。

「地域に根差した 自律的な経済圏の ゆるやかなネットワーク」

この女性性と男性性が統合した経済の形が「生命の経済」の基盤になると思われます。

その上で、より大きな行政機構や都市機能などがデザインされるのではないでしょうか。

また、生命の継続的な繁栄を実現するための様々なビジネスが展開されることも期待されるのです。

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「生命を基本とする社会」(生物学者 中村桂子氏のビジョン)

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