コロナ後に何を変える?
更新日:2021年10月3日
昨年、コロナ禍によって地球環境が驚くほど改善したことは、皆さんご承知の通りです。大気汚染が今や世界最悪と言われるインド北部で数十年ぶりにヒマラヤ山脈が見えたとか、イタリアのベネチアで緑色に濁っていた運河の水が透明になったなど。
世界規模で人々が外出を自粛し、生産活動(工場)が止まったことで、世界の二酸化炭素やPM2.5、化学物質などの排出量が目に見えて減ったのです。これで人間活動と自然破壊の因果関係がはっきりし、「コロナ後をコロナ前と同じにしてはいけない!」という声も世界中からわき上がりました。
けれども、コロナを封じ込めたとする中国やアメリカでの生産活動はあっという間に再開し、すでにコロナ前のレベルに戻っているとのこと。日本でもコロナ禍が明け、新政権になれば大型景気対策が打たれるだろうとの期待感から株価が上がっています。つまり「モノやサービスの消費をもとに戻す」だけでなく、コロナで失われた分を取り戻すことまで期待されているのです。
じゃあ「コロナ後を変えよう」と言っている人たちが何を提案しているのか見てみると、たいていは「脱炭素の推進」です。つまりエネルギーを石炭や石油のような化石燃料から再生可能エネルギーに切り替える。企業はそういう技術開発を進め、一般人はそういう企業に投資して応援しましょう、ということです。
野放しの消費主義
もちろん技術によってCO2を減らすことはとても大事なことだと思います。でもそれだけですか? なぜCO2を出す大元の原因であるモノやサービスの生産と消費を減らそうという話が聞こえてこないのでしょう。
再三言っていますが、技術開発による環境破壊の克服はとてもむずかしいのです。技術革新だけで環境破壊が止まるというのは幻想にすぎません(→ 経済成長という男性性①)
2030年までが勝負といわれる緊急事態です。モノやサービスに対する欲望は膨らませておいて、技術だけでCO2を減らすというのはあまりに非効率で非現実的です。もうひとつの原因、つまりモノやサービスの生産自体を減らす(消費を減らす)ことに向き合うべきではないでしょうか。
「上」は変わらない
経済成長を前提にする資本主義経済では、モノやサービスの売り上げを減らすと(経済の縮小)そのままでは不況になります。ですからたとえそれが必要だとしても議論すらできないのです。ですから、政府や企業から「消費を減らそう」というキャンペーンは(おそらく)起きてきません。
また日本では科学技術信仰が根強いのか、数年前にドイツの環境大臣が来日した時に「日本は環境技術の話ばかりで、生活のあり方を変える話が出てこないのですが、なぜですか」とおっしゃっていたのを思い出します。
2019年にNHKが気候変動について特別番組を放送した時にも、「ではこの危機を回避するために私たちは何ができるのでしょう」という質問に、有識者の方が「脱炭素を進めている企業を応援し、環境問題に熱心な政治家を選ぶことでしょう」と答えていました。それを聞いた番組スタッフが(それだけですか?)という顔をしていたのも無理はありません。有識者やNHKが「量(消費)を減らす」重要性を知らないわけはないと思うのですが、産業界に配慮して、それ以上のことは言えなかったのかもしれません。
変化は私たちから
つまり自然破壊を止めるのは政府や企業より、むしろ私たちの気づきと行動なのです。私たちこそ行き過ぎた消費主義をストップする責任があるのです。
「断捨離」「シンプルライフ」「ていねいに生きる」「シェア」「サブスク」「エシカル・ファッション」・・・ほかにも多くの「量を減らす」動きが始まっており、それを助ける新しいビジネスも生まれています。
ただ落とし穴もあります。たとえばリサイクルは(リサイクルするから今まで通り買っても大丈夫)という意識を生みがちです。けれどもリサイクルは材質が下がるため、せいぜい1~2回しかできない上、新しいものを作るより生産工程でエネルギーや化学物質を使うのです。またメルカリなどで不要品の再利用が進むのは良いのですが、今度は宅配量が急増し、運送から出るCO2が増加しています。やはり最終的には買う量を減らし、地域で回すということが鍵になるのでしょう。
今私たちは将来世代に残しておくべき資源や自然を食いつぶして生活しています**。将来の世代が必要とするものを損なうことなく、現在の世代の要求を満たす持続可能な社会をつくるには、地球の扶養力や再生能力の範囲内に収まる規模まで経済を縮小しなくてはなりません。今までのようにおカネさえあれば何でも好きなだけ買える暮らし方はできなくなりますが、様々な工夫で楽しく心豊かに生きることは十分できるはずです。
このブログはそのための情報をお届けできるように努力していきます
** 世界中が日本と同じような生活をすると地球が約3個必要だといいます(WWF:エコロジカル・フットプリント)。つまり将来世代に残しておくべき資源と自然を食いつぶしながら、私たちは生きているのです。
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