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女性の経済

更新日:2021年12月29日


男性がつくった経済が男性性の強いものになったのなら、女性のつくる経済は女性性の強いものになるのだろうか


そんな疑問から、私は2015年に女性が中心になって活動している経済を探し、その特徴を調べたことがあります。実は調査を始める前は、女性がつくっている経済なんてあるのかな・・・と心配でした。でも探し始めると、それは簡単に見つかったのです。大手の経済誌やメディアに華々しく取り上げられていないだけで、女性たちの経済は何十年も前から存在していたのです。


さて調査の結果、私の疑問「女性の経済は女性性が強いのだろうか」の答えは「イエス」でした。それは命や自然への視点をもち、人に寄り添い、より公正で、地に足のついた経済だったのです。命の視点をもたず、競争や効率を進めて拡大をめざす「男性の経済」とは真逆ともいえる経済でした。(男性のつくった現在の経済が極端に男性性に偏っているという主張は、サイトの「バランスを失った世界」をご覧ください)


この発見は私にとって悩ましいものでした。なにしろ「女性性と男性性が統合する経済が必要」と考えるこのブログとサイトは、すべての人間には女性性と男性性と呼ばれる両方の性質が備わっており、性差はあくまで傾向であるという科学的知見を踏まえているからです。男性がつくる経済は男性性が強く、女性がつくる経済は女性性が強いなどと言えば、「男性性=男性」「女性性=女性」となって、男女にははっきりとした性差があるという伝統的な見方を肯定しかねないのです。その上、もし本当にそうなら女性性を復興するのは女性だけの仕事になってしまい、男女は対立してしまいます。


「性差はあくまで傾向」と科学も言っているのに、なぜこんなことになっているのでしょうか。そしてそれは女性性と男性性を統合した経済をつくる上で何を意味するのでしょうか。まずは私の調べた「女性の経済」の特徴をもう少し詳しくご紹介しましょう。



女性のつくる経済の特徴


私が調査した「女性の経済」は、すでに組織化も進み、ビジネスとして定着しているエシカル・ファッションや生協のようなもののほか、地域活性化や農業振興における女性のイニシアチブです。


詳しい話は別途ブログに書くとして、その特徴はおおよそ以下のようなものでした。

  • 弱者への視点(思いやり)や共感をもつ

  • 地に足をつける、地域を重視する

  • 自分の目の届く範囲での堅実な経済を好む(拡大を目的としない)

  • 高いコミュニケーション能力によって水平的なつながりをつくる(自分が他者の上に立とうとするのではなく、「連携」や「連帯」によってつながる)

  • 命・健康・自然に対する意識が高い


たとえばエシカル・ファッションを推進している女性たちの原点は、自分たちのファッションが生産国の人々の生活と自然の犠牲の上に成り立っていることに対する問題意識でした。(→「エシカル・ファッション」)




農村には、「体と環境によい本物の食材」を作って広めることで地域の活性化にも役立てたいと頑張る女性リーダーたちがいました。彼女たちは直売所やカフェを作り、持ち前のコミュニケーション能力で消費者と直接対話をしながら、有機作物の良さを伝え、料理の仕方を教え、また求められる作物の情報を得るなどして売り上げを伸ばしていました。



また、子どもに安心安全なものを食べさせたいという母親たちが中心になって各地にできた生協組織が、男性を巻き込んで成長し、ネットワークをつくって商品開発、地産地消、有機農業の振興などの旗振り役となっていることは皆さんご存じの通りです。



こうした「思いやり」「共栄」「水平(横)」「命や自然の重視」などの女性性は、資本主義経済にはほとんど見られません。このため「女性の経済」は地域の社会的課題を解決するのにも役立っています。


けれども私がインタビューした女性の一人は言うのです。「私たちはこうした(経済)活動を何十年もやってきました。でもそれは正当な評価をまったく受けてこなかったのです」と。規模が小さく、巨大なおカネを生み出すわけでもなく、世界での覇権につながるわけでもない「女性の経済」は、経済として認められてこなかったということでしょう。


けれどもこの女性の価値観と女性性の経済こそ「生命を中心に置いた統合の経済」にとって重要なものになると思われるのです。



男女の意識を分けた性別役割分業


性差は傾向だというのに、男女のつくる経済がここまで正反対の特徴をもつのはなぜでしょう。私はその原因の一つは「男は仕事、女は家」という性別役割分業にあると考えています。

ごく最近まで女性の居場所は圧倒的に家でした。女性だけが食、病気、介護などの生きることの実態に接し、それを支えてきたのです。また女性にとって新しい命を産み育てるのも家です。この重労働に必要なのは「人に寄り添い」「助け合う」などの女性性でしょう。そしてこの生命の場から見ると、命や自然よりおカネを優先する経済のおかしさがよくわかるのです。(→「男性の家事と環境問題」)


また女性に与えられた環境が家と周囲の地域しかなかったために地域の人々や実情をよく知ることになり、地域密着型の経済モデルをつくりやすかったとも考えられます。銀行から融資をしてもらえないために事業規模を大きくできなかったという事情もあるでしょう。


一方男性は家事という生命を支える仕事に関わらなかったために、自らの中の「生命や自然と一体化する」女性性の意識が封じられてしまったのではないでしょうか。そうでなくても資本主義は生命世界とつながりをもたず、男性性ばかりを重視する経済です。男性性の意識から抜け出せなくなっても当然です。万一そうした仕事に疑問を持ったり逃げ出したいと思っても、おカネがなければ生きていけない資本主義社会の中で、家族を養う役割の男性は仕事を続けるしかなかったのかもしれません。


男女の価値観や感性の違いは性別役割分業によるものだけではないと思われますが、それはまた後日に。


時代は変わってきています。日本でも性別役割分業が崩れ始め、人が性別にかかわらず自分らしく生きる多様性を認めようとする動きも進んでいます。「男だから」「女だから」という縛りを解いて自分の中の女性性と男性性を解き放ち、より自分らしく、人間らしく生きようとする動きが、男性性一辺倒の資本主義経済を突き崩していくことを期待するのです。


そして経済に女性性の復興が求められている今、女性たちがつくってきた「女性性の経済」は、資本主義の先にある「生命を中心に置く統合の経済」を考える時におおいに参考になると思われるのです。



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